大判例

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札幌高等裁判所 昭和62年(う)126号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

押収してあるマキリ包丁一丁(鞘付)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田中敏滋提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

まず事実誤認の控訴趣意について判断するが、論旨は、要するに、原判決は、被告人がAにマキリ包丁で刺切創等を負わせ、その結果同人を死亡させた所為につき、正当防衛ないし過剰防衛を認めず、また被告人に未必的に殺意があったと認定したのはいずれも判決に影響を及ぼす事実誤認である、というのである。

そこで、関係証拠に照らして検討するに、被告人が本件所為に及ぶまでの経緯及びその所為の状況等については、次のような事実が明らかである。すなわち、

(1)  被告人は、中学校卒業後主として自動車運転手をして生活してきていたが、昭和五九年二月ころ暴力団山口組系(後に一和会系)甲野組内乙山組乙川会会長Bの若い衆になったことがあり、数か月で嫌気がさし、千葉県の同人のもとを出奔して釧路に帰り、再びかたぎになったつもりで以後同人との連絡をたっていたところ、昭和六一年一月ころ右Bの使いでやって来た乙山組乙谷会会長Cの訪問を受けるところとなり、その際同人から乙川会に戻るように言われたのを断り、結局は同年一〇月ころ右乙川会から破門されたが、被告人はこの事実を知らされず、右一月ころ以降同組関係者から身を隠すようにして生活するようになり、しかしまたその一方で、同年八月ころから釧路市内でいわゆるデートクラブを経営するようになっていたこと

(2)  一方、本件の被害者であるAは、当時、暴力団一和会系甲野組内乙山組乙丘会内乙海会長であり、デートクラブの用心棒をするなどして渡世していたこと

(3)  被告人は、本件までAと全く面識がなかったものの、例えば、抗争事件でけん銃を使った暴力団の幹部であるとか、デートクラブの用心棒をしており、あるデートクラブの経営者のもとに二、三名で押しかけて強盗まがいのことをしたとかなどと、噂としてその素性を聞知していたところ、昭和六一年一二月二三日夜、釧路市《番地省略》コーポセゾン一階の被告人方にAから電話が入り、丁寧な言葉遣いで、「自分は一和会の乙山組乙海会のAという者だけど一度お会いしたい。同じ一家一門だから、街でお会いしても顔も分からないのは何でしょうから。」「一度お会いしましょうや。」などと言われたため、これを承諾したが、その日どりについてはあらためて同人の方から連絡するということであったこと

(4)  被告人は、Aの面談申入れの理由をはかりかね、Aが前記乙川会会長のBに頼まれ、同人の使いで自分に会いたがっているのではないかなどと案じたりしていたが、昭和六二年一月一一日午後八時二〇分ころ、被告人方で便所に入っていた際、Aから再び電話がかかり、「Aだ。Xか。おい前に約束した電話どうしてよこさないんだ。これから会いたいんだ。」と乱暴な口調で言われたので、「今は都合が悪い。遅い時間ならいいですよ。今、糞しているんだ。後で電話してくれませんか。」と答えたところ、Aは、「お前の都合を聞いているんでない。俺が会いたいと言っているんだ。これから行くからな。」などと強引に言い放ち、「困ります。」と伝えても、「やかましい。行くぞ。」と言って取り合わず、「一一〇番ですか。喧嘩ですか。」と言ったのに対し、Aは、「何こら、この野郎。上等だ。行ってやる。」と怒鳴りつけて一方的に電話を切り、更にその直後の同日午後八時三〇分ころもう一度電話で「これから行くからな。待ってれよ。」と言ってきたので、被告人は「いますよ。どうぞいらして下さい。」と返事したこと

(5)  そこで被告人は、Aが突然押しかけて来る理由は分からなかったものの、同人が暴力団員でありその電話の剣幕から察して、当然仲間を連れ、凶器を携えて来るものと予想し、成り行きいかんによっては同人と喧嘩になるものと考え、ジャージの上下の上からオーバーオールを着用し、道具箱からマキリ包丁(刃体の長さ約一三・四センチメートル)を取り出してオーバーオールの下の胴巻きの中に鞘ごと隠し持ち、被告人方でAが来るのを待っていたこと

(6)  他方、Aは、同人方で組員らと飲酒したうえ、被告人に前記の電話をかけ、居合わせた乙山組乙丘会内乙木会丙村組組長Dを同行し、同人の友人であるE運転の車で同日午後八時五〇分ころ前記コーポセゾンに到着し、被告人方の隣室や被告人方の玄関ドアを乱暴に叩いたり、大声をあげるなど荒々しい態度で被告人方に押しかけ、被告人が解錠すると玄関から居間(七・五畳間)に上がり、続いてD及びEの両名も同様居間に上がったが、当時Aは、白のジャンパーを着用し、両手にドライバー手袋をはめ、D及びEはいずれも黒の革ジャンパーを着用しており、居間に入ったAは、やや玄関寄りに立ち、居間中央に立って迎えた被告人と相対し、Dは被告人の右側玄関寄りに、Eは玄関近くにそれぞれ立ったこと

(7)  そして、Dが顔見知りの被告人にAを紹介したところ、Aは、ジャンパーに両手を入れたまま「わしがAだ。うん。こら。」と居丈高に話しかけ、被告人が「ああそうですか。わたしがXと申します。」と答えると、更にAは「てめえ、さっき何て言った。言ってみれ。」と申し向け、被告人が「お話をするって言ったことですか。」と応じると、Aは「お前、さっき言ったこともう一回言ってみろ。」と詰め寄り、被告人が「喧嘩ですかって言ったことですか。」と言ったとたん、やにわにAは被告人の左側頭部付近を右手拳で一回殴打したこと

(8)  そこで被告人は、オーバーオールの下の胴巻きの中に隠し持っていた前記マキリ包丁を右手で抜き出し、これを止めようとしたDの手を振り払ってAの左側胸部を続けざまに二回突き刺し、その勢いで同室壁際まで後ずさってカラーボックスに腰を落とすような体勢になった同人に対し、その左顔面を突き刺したところ、同人から胸付近を強く足蹴にされてその場に仰向けに転倒したこと

(9)  被告人はすぐ起き上がったものの、右転倒の際Aの連れの二人もAに加勢して被告人を背後から引き倒したと思い込み、このままではAらにやられると更に焦慮し、立ち上がったのち被告人に手向かい続けるAの胸部等を突き刺し続け、更に、同人が刃物の入っている道具箱の方に目をやったように思えたので、刃物を取り出されることを慮ってなおも同人の胸部や左足等を突き刺すなどし、以上の結果、同人に対し、頭及び顔面部に三個の切創、二個の刺創、七個の刺切創、胸部に一個の切創、二個の刺創、一〇個(うち左側胸部に九個)の刺切創、左下腿外側に一個の切創等の傷害(刺創及び刺切創の深さは約六センチメートル未満)を負わせたこと

(10)  Aと被告人を引き合わせようとして同行して来たDは、被告人がオーバーオールからマキリ包丁を取り出そうとする際、とっさにそれを止めようとして被告人に手をかけたが振り払われ、その後も被告人を止めようとして、そのえり首をつかんだり、台所の道具箱から金槌二本を持ち出して来たりしたが、結局はそれ以上の手出しをせず、被告人とAとが血にまみれてつかみ合っている状態を見ながら、Aの仲間に電話をかけようとして戸外に出、また、運転を頼まれただけのEも、成り行きに驚き、前記(8)で被告人が転倒した前後のころに戸外に逃れたこと

(11)  Aは、被告人から前記の傷害を受けた結果、同日午後九時四五分ころ、搬送先の病院において、顔面部、胸部刺切創等に基づく左側頸静脈損傷などにより失血死したこと

などが認められる。そして、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実を前提に、以下論旨につき検討を加える。

(一)  所論はまず、本件はAをはじめ暴力団組員ら三名が、理不尽にも夜間突然に被告人方に押しかけ、Aが被告人にいきなり暴力を振るったため、被告人が、自己の生命を守るためやむなくマキリ包丁で反撃したものであって、単なる喧嘩抗争事件と異なるのであり、被告人の本件所為は、正当防衛ないし過剰防衛行為に当たると認めるべきであるのに、原判決は、事実を誤認してこれを認めなかったもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、被告人の本件所為につき正当防衛ないし過剰防衛の成否について検討するに、被告人は、Aから来訪の予告を受けてから、マキリ包丁を隠し持った理由、来訪したAを刺した理由などについて、捜査段階では、司法警察員及び検察官に対する各供述調書において、大要、「相手は一人では来ない。必ず何人かでやって来るだろう。しかも喧嘩道具を持って来るにちがいない。そうなれば、自分が怪我をすることは目に見えているし、命を落とすことになるかも知れない。やられそうになったり、どこかにさらわれそうになった場合、それを防がなければならない。自分を守るために何か刃物を用意しなければならない。そう考えてマキリ包丁を用意した。」「Aのジャンパー姿を見て道具を隠し持っていると思い、何かあったら先にやらなければやられると思った。」「そしてAに殴られて、続けざまにくるだろう、そうなれば他の二人も手を出すだろう、Aは持っている道具を使うだろう、これに対し素手で向かっても、相手三人からコタコタにされると思った。用意したマキリ包丁でやらねばやられると思った。」と述べたり、あるいは、「Aが喧嘩を売ってくるのなら、売られた喧嘩には勝たなければならない。ヤクザとの喧嘩は命がけである。殺さなければ殺される。生きるか死ぬかの男の勝負である。徹底的にやることになると思った。」「Aの行動を見ていると、うじ虫どもに腹が立ち、とことんやり合ってやろうという気持になった。そして同人から殴られて、抑えていた怒りがこらえきれなくなり、なめられてたまるか、たたき殺してやるという気持になった。」「一発刺したあとは、なぜこいつのために刑務所送りかと思うと、もうれつに腹が立ち、この野郎、ぶっ殺してやるという気持になった。」などと述べたりもし、また原審及び当審公判廷では、大要、「Aは、暴力団だから、一人では来ない。またそれ相当の道具(凶器)を持って来るだろう。どういう出方をしてくるか分からないが、話合いですめば我慢しよう。しかし、万一自分の身に危険がふりかかった場合、それを防がなければならない。そう思って、なるべくつかまえられないようにするためオーバーオールを着、マキリ包丁をふところに入れた。」「三人が入って来て、三人とも仲間だと思った。Aはジャンパーの下に道具を持っており、他の二人もどこかに持っているんじゃないかと思った。」「そして、自分に何の落度もないのに、三人で押しかけられ、いきなり殴られて、更に何をされるか分からない。このままではやられてしまうという恐怖感が極度に達し、これ以上やられてはたまるか、と、自分の身を守るためにやった。」「素手で反撃しても、三対一でコタコタにやられ、殺されてしまうかも知れないから、マキリ包丁を抜いて刺した。」「最初二回刺したあとは、こんな奴のおかげで刑務所送りになると思うと腹立たしく、この野郎と思って顔を刺した。」「これでAが謝るなどしてくればそれですんだのだが、三人がかりで倒されて、三人にやられてしまうとの恐怖があらたになり、その後は、刺しても刺してもAが倒れずに手向かい続けてくるし、あとの二人にもうしろからまた襲われるとの思いから、やらなければやられると、自分を守るためAを刺し続けた。」と供述しているのであるが、先に認定した本件に至る経緯とこのような被告人の供述を合わせみると、次のように認めることができる。

すなわち、被告人は、前示のとおり、本件当日の電話のやりとりは、前年暮れの電話の場合と異なり、Aが異様な興奮ぶりであったため、同人が押しかけて来る理由は思い当たらないが、話合いですむとは限らず、成り行きによっては喧嘩になり、同人から攻撃されることになるかも知れないと考え、また、相手は凶器を携え、仲間を連れて来ることは必定と考えて、その場合に備えてマキリ包丁を用意して隠し持ったことが認められる。しかし、被告人は、これまでAと全く面識がなく、また、本件当時同人の所属する暴力団組織との間で特段の緊張関係などがあったなどの事跡は認められないのであって、同人から夜突然の訪問を受ける理由もなかったのであり、したがって、被告人の捜査段階における供述中にはAに対する過激な感情の吐露がみられ、また、自己の行動傾向についての誇大な表現や、本件犯行を被告人なりに美化した記述がみられるけれども、Aが押しかけて来る機会を利用して、あるいは同人から喧嘩を売られるのをきっかけにして、被告人の方からAに対し積極的に攻撃を加えようというまでの動機はなく、被告人はそのような積極的加害意思をもって侵害に臨んだものではない(このことは、当夜Aから電話があった後被告人が元妻のS子(後に再び結婚して入籍した。)と電話をした際に、Aが来て喧嘩になるかも知れないと告げたが、同女が間もなく被告人方に来ることを結局は制止せず、同女においてもそれほどの緊迫感を感じなかったことからもうかがえるところである。)と認めて誤りないものと考えられる。ところが、Aは、被告人の予測どおり、暴力団組長のD及び仲間と見られてもやむを得ない人相風体のEを伴って来訪し、しかも、荒々しい態度で被告人方居室に立入り、三人が玄関に近い位置を占め、被告人の逃げ場を塞ぐような形で被告人を取り巻く状態になったのであり、しかもAの服装などからして、同人が凶器を隠し持って来ているにちがいないと被告人には思われ、これらのことからして、事態の成り行きによっては、連れの二人も攻撃に加わり、三人がかりで凶器を使って襲ってくると被告人が思い込んだのも無理からぬところであり、このような状況の下でAら一行に対し、被告人が強い恐怖心と危機感を抱いたであろうことは容易に推認できる。そしてAは、右のように被告人を取り巻いた状態のなかで、被告人に対し、居丈高な態度で前記のとおり威圧的な言動をとりつつ、いきなり被告人の左側頭部付近を右手拳で一回殴打したのであって、一方的な剣幕の事前の電話に引き続き、夜間三人連れで荒々しく被告人の住居に押しかけたうえでのこのAの理不尽な行動は、暴力団特有の発想による暴力団の勢威を示しての暴力行為そのものであって、被告人においてこれに対しことさら怯懦な態度をとるのでない限り、引き続き被告人に対しこれと同程度以上の暴行が加えられようとしていたことも明らかとみることができる。ここに、Aによる被告人の身体等に対する急迫不正の侵害が現実に存するに至ったのであるが、右のようなAの理不尽な行動により、被告人が以後のAの攻撃につき、連れの二名の加勢のもとに三人がかりで凶器を使って襲ってくるにちがいなく、命を落とすことにもなりかねないと激しく恐怖したことも、もっともなことであったといわなければならない。以上のような事情にかんがみると、被告人は、Aから理不尽な言辞と暴行を受けて、Aが連れの二人の加勢のもとに三人がかりで凶器を使って被告人に攻撃を加えてくるとの思いから、このままでは自分がやられてしまうとの認識のもとに、このような急迫不正の侵害から自己の生命、身体を防衛しようとして、本件所為に及んだ(本件所為が多数回に及んでいるのも、右の認識が去らなかったことによる。)ものと認めることができる。もっとも、現実には、Aは凶器を携えておらず、また、Dは単に同行した者であり、Eは単に車で送迎を引き受けた者で、D、Eの両名とも被告人に侵害を加える意思はなく、本件現場においても被告人のAに対する暴行を制止しようとしたにとどまることは明らかで、これらの点で被告人に事実の錯誤と侵害の強度に対する誤想があり、また被告人は、後にも検討するとおり、Aの理不尽な前示の行動に対する憤激の気持も手伝い、殺意をもって本件所為に出たと認められるが、右はいずれも、本件所為が防衛行為であることを認定するについて支障となるものではない。

このように、被告人の本件所為は、Aの急迫不正の侵害に対し自己の生命、身体を防衛するためのものであったと認められるのであるが、右所為の全体を観察すると、被告人は、最初Aから素手で攻撃されただけであるのに、すぐさま本件マキリ包丁で反撃し、その後も、Aが終始素手で手向かうだけであり、他の二名からも、一度うしろに引き倒されたと思われた以外に攻撃を加えられたことがないのに、自らの憤激の情にもかられながら、引き続き右刃物で多数回にわたる攻撃を加え続け、二十数か所に傷害を負わせて遂に同人を殺害するに至ったものと認められるから、被告人に前記のごとき誤想のあったことを前提として考えても、その所為は防衛に必要な方法、程度を逸脱しているものといわなければならない。したがって、被告人の本件所為は正当防衛行為にはならず、刑法三六条二項の過剰防衛行為に当たるものである。

原判決は、被告人が、喧嘩になったら刃物で先に攻撃してやろうなどと考えてマキリ包丁を隠し持ってAの来るのを待ち、興奮したAから手拳で左側頭部付近を一回殴打されたため憤激の念を抑えきれなくなり、ここにおいて生命を賭けた喧嘩を覚悟して本件所為に及んだと認定し、その所為が専ら積極的加害の意思のもとに行われたとの判断を前提にして、過剰防衛の成立を認めていないのであるが、これは事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(二)  次に、所論は、被告人にAを殺す意思はなかった旨主張するので、検討するに、関係証拠によれば、①本件凶器は、前示のとおり刃体の長さ約一三・四センチメートルの鋭利なマキリ包丁で、用法いかんによっては人の生命を奪うのに十分な形状性質のものであること、②被告人は、右包丁を砥石で研ぎ上げたうえ山菜取りなどに使用するため道具箱に保管していたものであること、③被告人は、Aから右手拳で左側頭部付近を殴打されるとやにわに所携の右包丁で同人の左側胸部を二回突き刺し、更に同人の身体の枢要部などに執拗な攻撃を加え、これにより、Aの負った創傷は、頭顔面部、頸部、胸部、腹部、上肢、下肢などに及び、左内頸静脈を刺通する刺切創が左下顎縁と胸部左側上端部に二個認められるほか、筋組織、口腔内、胸腔内、腹腔内に達する切創、刺創、刺切創が二五個認められること、とりわけ胸部には切創が一個、刺創が二個、刺切創が一〇個認められ、しかも左側胸部の刺切創は、三個が左胸腔内に刺入し、二個が腹腔内に刺入して小腸に八個の刺入・刺出口を作り、一個が腹腔内に刺入し横隔膜を穿刺して左胸腔内に刺入していることなどが認定できる。

このような本件凶器の形状、Aの受傷の部位、程度、及びそれらから認められる被告人の犯行態様などの客観的状況に、先に正当防衛の所論について検討した本件所為に出るについての被告人の動機、心境を併せみると、本件犯行当時被告人は、Aの理不尽な行動に対する憤激の気持も手伝い、場合によってはAを死亡させるに至るかも知れないが、本件の状況下ではそれもやむを得ないという気持を抱いて、あえて本件所為に出たこと、すなわち被告人が本件犯行に際しAに対し少なくとも未必的に殺意を抱いていたと認定することができるというべきである。

結局事実誤認の論旨は(一)で判断した限度で理由があるから、その余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、被告事件につき更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、これまで主として自動車運転手をして生活を立ててきたが、昭和五九年ころには暴力団山口組系(現一和会系)甲野組内乙山組乙川会会長Bの若い衆となり、数か月で嫌気がさして無断で同人との連絡をたってしまったことがあり、また昭和六一年八月ころからは釧路市内でいわゆるデートクラブを経営したりするようになっていたところ、同年一二月二三日夜釧路市《番地省略》コーポセゾン一階の被告人方に暴力団一和会系甲野組内乙山組乙丘会内乙海会会長A(昭和二五年六月一五日生)からとつぜん電話がかかってきて、「一度会いたい。また改めて連絡する。」と言われ、これまで噂を聞いたことしかない同人からこのように言われる理由を推しはかりかね、不安を覚えて過ごすうち、昭和六二年一月一一日になって再びAから電話がかかり、同日午後八時二〇分ころから二回にわたり「今から行く。俺が会いたいと言っているんだ。待ってれよ。」などと一方的にたいへんな剣幕で言われたので、やむを得ず承諾したものの、依然としてAの来意がつかめなかった被告人は、同人が暴力団の仲間を連れ、凶器を持って押しかけて来るにちがいないと思い、話合いでことがすめばよいが、成り行き次第では集団で暴力を加えられることになるかも知れないと慮り、そうなれば自分の生命、身体を守るため刃物を使用することもやむを得ないと考え、オーバーオールを着用し、マキリ包丁一丁(刃体の長さ約一三・四センチメートル。主文四項の物件)を右オーバーオールの下の胴巻きに鞘ごと隠してAが来るのを待っていたところ、同日午後八時五〇分ころAが乙山組乙丘会内乙木会丙村組組長D(当時三四歳)及びその友人であるE(当時四一歳)の二名を連れて前記コーポセゾンに到着し、同コーポ一階の被告人方居室内に右両名とともに荒々しい態度で立入って来たが、玄関口をも塞いだ同人らが三名で被告人を囲むようにして立つなかで、被告人は、Aから「わしがAだ。うん。こら。」「てめえ、さっき何て言った。言ってみれ。」「お前、さっき言ったこともう一回言ってみろ。」などと居丈高な態度で言われ、「お話すると言ったことですか。」「喧嘩ですかって言ったことですか。」などと返答したところ、興奮したAからいきなり右手拳で左側頭部付近を一回殴打され、引き続き暴行を加えるであろう気勢を示されるに及び、Aの服装などからも同人が凶器を持ってやって来ているにちがいないと誤信していた被告人は、ここにAがD、E両名の加勢のもとに更に三人がかりで凶器を使って攻撃してくるにちがいないと思い込み、かかる急迫不正の侵害から自己の生命、身体を防衛するため、その後も手向かい続けるAに対し、右防衛に必要な程度を越え、同人が死亡するに至ってもやむを得ないとの未必の殺意のもとに、その顔面部、胸部等二十数か所を前記マキリ包丁で突き刺し、よって、同日午後九時四五分ころ、同市幣舞町四番三〇号所在の釧路医師会病院において、同人を顔面部、胸部刺切創等に基づく左側頸静脈損傷などにより失血死させ、もって同人を殺害したものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件所為は、Aの急迫不正の侵害から自己の生命を守るためにやむを得ずマキリ包丁で反撃したものであって、正当防衛又は過剰防衛に当たると主張する。しかし、本件について正当防衛が成立せず、過剰防衛が成立するにとどまることは、控訴趣意に対する判断の(一)で示したとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定中有期懲役刑を選択するが、右は過剰防衛であるから、同法三六条二項、六八条三号により法律上の減軽をしたうえ、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、本件に至る経緯、動機、犯行の態様は、控訴趣意に対する判断の項で述べたとおりであり、犯行の態様のほか、被害者の遺族の心情をも合わせ考えると、被告人の殺人の刑責は軽視し難いが、しかしながら、被告人の本件所為は、前示のとおり、押しかけて来た被害者の攻撃から、自己の生命、身体を防衛するために出た行為であり、被害者が夜間被告人方へ押しかけて来たことにつき、凶器を携え、仲間を伴って攻撃をしかけて来たと誤認した点は、被害者とその連れの挙動に照らし、無理からぬものがあること、被告人は現在では被害者の遺族の心情も察して、過剰な反撃に出た行動につき反省の念を示していること、これまで前科前歴が全くないことなどの事情もあり、これら一切の事情を総合考慮のうえ、被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、主文四項の物件は、判示殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

検察官鮫島清志公判出席

(裁判長裁判官 岡本健 裁判官 髙木俊夫 佐藤學)

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